ベーゼンドルファー
190年の伝統と歴史
小金井店ショールーム
ベーゼンドルファー
190年の伝統と歴史
小金井店ショールーム
ベーゼンドルファーの
音色を育んだ風土
音楽の都ウィーン
音楽の都として世界の憧れを集める都市ウィーン。 その歴史は古く13世紀にさかのぼります。
13世紀後半よりハプスブルク家は神聖ローマ帝国の皇帝としてヨーロッパの大部分 (現在のドイツ、オランダ、ベルギー、フランス東部、スイス、イタリア北部、オーストリア、チェコ、スロバキアなど)を統治し、「太陽の沈まない帝国」と呼ばれるほどの繁栄を極めました。
ウィーンは約700年間その首都であり、ヨーロッパ全域より商業、政治、思想、芸術が集まる一大都市でした。 歴代のハプスブルクの君主たちは芸術に対してとても理解が深く、芸術家たちを厚く保護し音楽や絵画を育成し、さらには宮廷に召し抱え財政的な援助を行ったため、ヨーロッパ全土の優れた芸術家たちがウィーンに集まったのです。
中でも「音楽」は、現在に至ってもヨーロッパのみならず世界の中心地として知られ、音楽を学ぶもの、音楽を愛するものにとって憧れの地となっているのです。
創業者
イグナッツ・
ベーゼンドルファー
ベーゼンドルファー社はこの音楽の都ウィーンで、1828年に設立されました。
創業者のイグナッツ・ベーゼンドルファーはウィーンに家具職人の息子として生まれ、19歳の時、オルガン製造者のヨーゼフ・ブロッドマンに弟子入りしました。
弟子の中でももっとも優秀な弟子となった彼は、1828年にブロッドマンの工場を引き継いでピアノ作りを開始。当初から高品質、高水準で素晴らしい名声を得ていました。
ベーゼンドルファー
ピアノとリスト
音楽家の中で特に交流が深く、ベーゼンドルファーピアノを世に知らしめたのは、演奏家・作曲家のフランツ・リストでした。
リストはピアノについて実に要求が多いばかりか、その激しく強靭なタッチで、次々にピアノを演奏不能にしていました。 しかし友人の勧めでベーゼンドルファーのピアノを使用したところ、ベーゼンドルファーは彼の演奏に耐え、演奏会は大成功を収めたのです。
これをきっかけにベーゼンドルファーはコンサート用グランドピアノとして一躍有名になりました。 その後、ベーゼンドルファーはリストの名声と共に世界中に知れ渡って行ったのです。
“伝統の遵守と
限界の超越”
ベーゼンドルファー
の理念
その後、演奏会場の大型化あるいはオーケストラの大規模化に対応するためにベーゼンドルファーも他のメーカーと同様に音量増大と楽器の強度の課題に取り組みますが、 演奏家と聴衆の「強い音」に対する要求がさらに高まる中にあっても、ベーゼンドルファーは聴衆の心を魅きつけるピアニッシモに対する意識を高く持ち続け、 商業ベースに流されることなく丁寧な手作業による製造を維持し続けてきました。
また、伝統を守りながらも新たな可能性にも挑み続けており、洗練されたモダンなフォルムが美しい「デザインモデル」、メーカーのデザイナーとの共同作業によって作られた「ポルシェデザインモデル」「アウディデザインモデル」など、 伝統文化に新たなページを加える革新的なモデルを生み出し、世界の賞賛を得ています。
ベーゼンドルファーは創業よりおよそ200年近い永い歴史の中で、総生産台数はわずかに50,000台程しか製造しておらず、現在、年間の製造数は僅かに約300台という数字でしかありません。これは、ベーゼンドルファーが伝統的な音色、技術を重視し、いわゆる大量生産ではなく、優れた技術者たちが一台一台、十分に時間をかけて造り出していく「芸術品」であることを表しています。
樹齢約90年の成木を伐採し、それぞれのパーツに適した含水率になるまでのシーズニングに約5~6年の期間を経た後、一台のピアノの製作開始から完成までに要する時間は約62週間。さらに調律・整音などの最終調整にかける期間は約8週間。 職人たちが何世代にもわたって受け継いできた創業者の魂と技が、この数字に表わされています。
限られた台数しか出回らないにも関わらず、現在も世界中の人々から愛されつづけている由縁がここにあるのです。