天野 年員経歴・工房紹介
難関の製作コンクール 2007年VIOLINO ARVENZISでの総合1位、第13回チャイコフスキーコンクールでの第4位入賞など、輝かしい活躍を遂げてきた製作家、天野年員さん。 巨匠ジオ・バッタ・モラッシー氏の工房での修行や、世界的な鑑定家であるエリック・ブロット氏のもとで職人として名器の修復を手掛けてきた経験、そして数々のコンクールへの挑戦など、彼の作品作りの重要なエッセンスとなっているものを探っていきます。
製作家への道
天野さんが初めて「ヴァイオリン職人になりたい」と思ったのは高校3年生のとき。
クラシック音楽が好きで絵画、版画、日曜大工となんでもこなすお父様の影響が大きかったそうです。
高校卒業後、社会人経験を10年経たのちも高校当時の夢が諦めきれず、30歳を前に、ヴァイオリン作りというものがどんなものなのかまずはやってみよう、と決心。長野にあるヴァイオリン製作教室で約1年学びました。
製作に対する思いはより強まり、ついに海外留学を検討。イタリア・クレモナの弦楽器製作学校へ、質問の手紙を英語で書いて送りました。
そして、忘れた頃に一通の入試申込書が届きます。
じっくりと考えた末、製作家の道に進む決心をし、ついにイタリアへ渡ったのです。
尊敬する師匠たちとの出会い
2001年5月にイタリアへ渡った天野さんは、クレモナの弦楽器製作学校の3年に編入、2年間ロレンツォ・マルキ先生に学びます。
また、2003年から2007年までの4年間は、巨匠ジオ・バッタ・モラッシー先生に師事。モラッシー先生の工房に通い、偉大なマエストロのまさにとなりで、その作業台で、平日はもちろん土曜日も学ぶという貴重な時間を過ごしました。
2005年には正式にプロ登録をして開業。
そして同年の6月からは、世界的鑑定家
エリック・ブロット先生の工房でも修理修復の仕事をするようになります。ブロット先生の元には、名器が世界中から舞い込みます。天野さんは帰国する2010年までの5年間という長いあいだ、ブロット先生にその腕を信頼され職人として名器の修復に携わりました。
楽器の修理を通じて、ブロット先生をはじめ先輩職人からは技術だけでなく様々な価値観を学んだ、と天野さんは語ります。
新作でありながら、どこか歴史的名器を思わせる風格と味わいを持っている天野さんの作品作り。
その技術と製作・修理への姿勢は、ブロット工房での長年のキャリアに裏打ちされていると言えるでしょう。
モラッシー工房に通いつつ、ブロット工房でも働いていた時期には、午前と午後でそれぞれの工房に通い、日曜と夜間に自分の作品作りを行うという多忙な毎日。
そんな中でも積極的に製作コンクールに参加しました。
朝起きて夜遅くに寝るまでずっとヴァイオリン、という日々は、忙しくも充実したものでした。
コンクールへの挑戦と栄光
初めて挑戦したのは、2005年ミッテンバルト国際弦楽器コンクール(ドイツ)。
プロとしての活動を始めた年、そして初めてのコンクールとあって気合を入れて製作した作品は、総合5位という素晴らしい成績でした。
大きなコンクールでの上位入賞でしたが、音の調整に最後まで苦戦するなど、コンクールの難しさも同時に感じました。
次に挑んだ2006年の第1回VIOLINO ARVENZIS国際弦楽器コンクール(スロバキア)では第3位。
そして翌年、同コンクールの第2回に出品しました。前回第3位だったことで、順位が下がってしまったらという葛藤もありましたが、クレモナで結果を待つ天野さんのもとには入賞確定の知らせが。急いでスロバキアへ向かいました。
結果は優勝。同時に最優秀技術賞も受賞しました。
同じ2007年には、チャイコフスキー国際コンクール(ロシア)ヴァイオリン製作部門で4位に入賞。このときのゴールドメダルが菊田浩氏、シルバーメダルが高橋明氏と、仲間であり良きライバルでもある二人と栄冠を分かちました。
さらに翌2008年にはナホード国際弦楽器製作コンクール(チェコ)にエントリー。このコンクールは、作品を出品するだけでなく、実技審査も行われます。結果は5位と6位、彫刻実技では3位を獲得しました。
製作コンクールは、スポーツのように明快な価値観で勝敗が決まるものではありません。自信作であっても評価が低かったり、その逆のこともしばしば。
それでも、安定して上位に入り続けるということは、コンクールや審査員ごとに異なる様々な価値観の基準を常にクリアし、誰が見ても素晴らしいと感じる作品を作ってきたことの証明とも言えます。
数々のコンクールへの挑戦を「楽しかった」と振り返る天野さん。かけがえのない経験と輝かしい成績を積み上げて、2010年に帰国しました。
約10年にわたりヴァイオリンの聖地クレモナで真摯に学んだ時間を糧に、現在は京都の工房にて製作を行っています。
工房紹介
天野さんは2010年に帰国し故郷の京都に工房を構えました。
イタリア時代は、近くに尊敬できる先生や先輩職人がたくさんいて、アドバイスや刺激をもらうことができましたが、もちろん日本ではそうはいきません。
でもその代わりに、愛好家からプロの演奏家まで、たくさんのお客様が天野さんの製作活動を支えています。
「自分の作った楽器にお客様がどれくらい満足されたか、注意深く感じとることに努めている」という天野さん。
今では、お客様が先生なのです。
修行時代を終えて帰郷した今でも、「より良い音、より美しい楽器を」という想いや探究心は、期待を胸にイタリアへ渡った頃と変わっていないのだそうです。